life

とらわれずに暮らしていく

わらびもち

わらび餅とはわらび粉から作るもの

わらび粉はわらびの根から採り出したでんぷんの事

基本的には植物のでんぷんなので片栗粉やコーンスターチと同じ物

別段ハイソな味覚を持ってる訳じゃ無し、それほど食べたいとも思わないけれど

どういうものか自分で最初から最後までやってみたいという興味はある

 

やれ自然のモノがイイとか、野のモノがどうだとか

口だけの講釈は耳にタコができるほど聞く

でも、これだけ葛が繁茂し、枯れた蕨野があるのに

掘っている人を見たことは無い

葛粉を作った時に経験したけれど

確かに買ってきた方が安い

掘りあげて、すりつぶして、何度も水に晒して

採れる量はほんの僅か

労力や時間を金に換算すればとても合わないし

講釈を言っている方がよほど金にはなる

ただ、すべてを経験した上で話す言葉と

何処かで見聞きした事を話す事は全く別物だと思う

 

たまたま草刈りをした場所に大量のわらびが生えていた

打ち捨てれられた田んぼの畔には何十年も経ったわらび根が埋まっている

鍬を片手にモノの10分も掘れば籠いっぱいのわらび根が採れる

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掘ったわらび根をよく見てみると

何層にもなった繊維の中に真っ白になったでんぷんの塊がビッシリ詰まっている

このでんぷんを採り出すためには長くメンドクサイ工程が待っている

手が切れるように冷たい川の水で泥を落とし

少しだけすり潰して水に晒してみると

粘性のあるグレーの液体が採れた

葛とは違うわらび餅の粘りのある食感はこのドロドロしたものからきているのかも

工程を1つ1つ経験していくと、様々なことが理解できてくる

それは手の記憶であり、まぎれもない真実として体に残っていく

 

本当の事を知り、身に着けていくのは簡単な事じゃない

でも、本当に大切なのは話の受け売りじゃ身に付かないと思う

 

 

地下足袋

ずっと以前から農作業には地下足袋を履いている

正確に言うと農作業用の足袋ではなく鳶職人や大工の履く

縫い付け足袋というソールが薄くこはぜの多い長いタイプ

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傾斜のきついとこでは地面を足の指で掴む感覚と薄いソールから伝わる感触が必要

底が厚くや指の動かないクツは感覚が解らないし、脱げてしまう事もある

昔からある日本独自の履物だけど「仕事」の道具としてはこれより優れたものは無い

もちろんデメリットもある

足は濡れるし、1年で2足くらい履き潰すので長靴に比べ耐久性は劣る

ずっと使っているメーカーの足袋は安いモノの倍くらいする

ただ、これに勝る履物にはいまだ出会ったことが無い

 

左足の感覚がおかしくなって改めて思うのは、足裏の感覚の重要性

足の裏は車でいう所のタイヤみたいなもので

人間は足の裏の感覚で無意識にバランスを取っている

足の裏というセンサーが捕らえる情報を体中の筋肉や脳の伝え体を動かしている

今現在左足が捕らえる情報は以前に比べて極端に少なく鈍くなっている

実際にしょうがなく長靴を履くと、足がどこに付いているのかさえ分からなくなる

その不確実な情報でバランスを取ろうとすると

体中のバランスに補正がかかりとにかく疲れるし頭もぼーっとしてくる

そんな大げさなという人もいるかもしれないけれど

それはそうなってみないと解らない事だと思う

足袋と靴ではそれほど違う

条件が厳しくなればなるほど、その差は大きい

 

ズボンのすそをたくし込んで12個あるこはぜを一つ一つ止めていく

それは「仕事」に臨むための儀式のようなもの

足元をビシッと決めて心構えを決めるようなものだ思う

靴のかかとを踏んずけて平気な人にはわからないと思うけど

 

 

 

その場所にあるもの

以前から不思議に思っていたことがあります

それは畦畔には肥料を全く施さないのに草の生育がいいという事

年に4~5回草を切りますが秋口にはびっしりと草が生え揃います

圃場に種まきしたってこれほど生え揃うことは無いのに

なぜこれほど元気よく伸びるのか不思議に思っていました

 

棚田の畦畔を歩いてみるとびっくりするくらい土が柔らかく

雨が降ってもべたつくことが無い

掘ってみるとサクサク鍬が入り、ぎゅっと握れば固まり崩せばサラサラになる

圃場の土としては理想的な土がナゼか畦畔に自然とできている

今まで畦畔に草は切ったまま放置して自然に無くなるという繰り返しでした

そこで今年はある実験をしてみました

 

春から夏にかけて切った草を一か所にまとめ、山積みにしたまま放置

その山積みした草の下で何が起きているのか

春から夏に切って積んでいた草は10分の1くらいになっています

その積み重なった草を少し剥いで見るとまず出てくるのが真っ白な菌糸の塊

そのなかにはダンゴムシやらミミズやらが沢山いました

匂いは広葉樹の腐葉土のようなニオイ

これは想像ですが、長い間草が枯れてできた層が積み重なり

その下では微生物やミミズなどが住みやすい環境ができ、結果としていい土になり

肥料を施さなくても植物が元気になる要素が出来ているんじゃないかと思います

 

その中でもう一つ狙っていたことがこれ

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昔はどこにでもいたカブトムシがなかなか見つからないのは

成虫が卵を産む環境が減ってきたのではないかと思います

せっかく幼虫になってもこれだけイノシシが増えれば食べられてしまうだろうし

針葉樹や荒廃竹林の中にはカブトムシが育つ環境が無い

彼らが育つ環境を整えることと農をやっていくことは

反目になることでは無くてお互いが共生していくことなんじゃないかと思います

カブトムシが育つ状態の堆肥は植物にも有用だろうし

それを肥料として使えればこちらもありがたいし

草を集めて積み上げるのはメンドクサイけれど

それがお互い様という事なんじゃないかと思います

 

 

米作り

伸びに伸びていた稲刈りがやっと終わりました

今年は田植直後に入院した為、ほとんど田んぼに出ることができませんでしたが

代わりに息子がいろいろと骨を折ってくれたらしく

無事に新米を食べる事ができるようになりました

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まだ同じ姿勢を長く続けることは出来ず、コメ袋も抱えることも出来ず

稲刈りもほとんど息子任せになってしまいました

田植えをするとか稲刈りをするという作業だけなら、機械を扱えればなんとかなります

しかし、単純な機械作業が出来てもコメ作りはできません

6月初旬の田起こしから11月の稲刈りまで様々な手を掛けやっとお米ができる

一部分を切り取っただけの体験では決して分からない

地道な積み重ねが収穫に繋がるたった1本の道なのだと思います

 

肥料や農薬を使わず一定の収量を確保するというトライも

5年目にして少し明るい兆しが見えてきました

坪当たり30株 幼苗1本植え

普通の田植え機を改造して挑戦した今年の稲は、結果的にはうまくいきました

植間を広げて風通しを良くして、深水にして草を抑え、畦草を高刈にして益虫を増やす

1本もしくは2本の幼苗が稲刈りの時には60株くらいまで分けつしていました

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箱苗は反当り約9箱

いびつな圃場のこの辺りでは反20~22箱苗を使いますが半分以下

肥料も防除農薬も使わなければコストは半分以下になる計算になり

特殊な田植機やセルトレイで作る成苗を使わず、生体防除も使わないコメ作りの

道筋がやっと見えてきたような気がします

来年はまた新しいチャレンジをしたい

楽しみがまた一つ増えました

それを叶えるために体を治さないと

そのモチベーションの為にも・・・・

キレイ事

車検の車を引き取りに大工の友人のとこに行った

作業場には奇妙な形に削られた木材が並べてある

これは屋根の垂木、お寺の鐘楼の部材だという

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原寸の型板から削り出された部材は三倍ほどの大きさの木材から一本しか採れない

墨付けした木材を鋸と鑿で削り出し、最後は手鉋で整形するらしい

これだけ大きく反りの入ったものは、木材の芯の部分を使わないと形が揃わない

もちろんプレカットではできないので、すべてが手作業

材料もできるだけ節のないものを使い、年輪の詰まり具合や癖の出る方向を

見極めないと、立てた時に軒が真っ直ぐにならないという

 

寺社仏閣の木造建築は100年200年立っていることが当たり前の建物

今の建売住宅とは比較にはならない

しかし、ほんの20年前までは一般の住宅でもこうやって手刻みするのが当たり前

材料の癖を見抜き、墨付けして刻むのは普通の事だっだ

現在建てられる建物の9割はプレカット

機械は木の癖や目の詰まり方なんてお構いなしに

インプットされた情報に従って整形してしまう

確かにその方が安上がりだし、神経を使う事も無くなった

「安く、早く」という施主の要望にも応えられるし、大工の手間も減った

同時に「墨付け 手刻み」という技術は伝える場がなくなり

間もなく途絶えていってしまうだろうということを友人は言う

 

どんなことでもそうだけれど、モノを生み出す技術は簡単には身に付かない

思いや情熱も必要だけれど、結局はどれだけ自分を追い込んでいけるかだと思う

もちろん生きて行く為にはその技術でお金を稼がなくちゃいけないけれど

もっと先へ、もっと上へというモチベージョンを保つのは難しい

極めようとすれば、他人から疎んじられたり煙たがられたりすることもある

足を引っ張られることもあるし、仲間ハズレにされることもある

でも、ひとつの事を極めようとすればそれは税金のようなもの

おてて繋いで仲良しこよしでできればいいんだろうけれど

そんな人は見たことないし、そんな楽なモンじゃない

 

忘れ去られようとすることや、長い時間をかけて受け継いできた知恵に対して

「次世代に受け継いでいく」とか「生きる力を養うとか」

簡単にキレイ事口にする人はたくさんいる

でも、それに手弁当で参加しお金を払ってくれる人はいない

事を極めるまでには長い時間と努力がいる

その長い時間を食っていかなければ知恵や技術は途絶えてしまう

仕組みづくりや思いついたことをやるのは構わないと思うけど

食っていくという現実と極めたいという理想をどこかで摺り合わせないと

次の世代に受け継ぐことはできない

それは農業であれ大工であれ整備屋であれ同じ事

キレイ事を口にするのは中途半端な責任のない人たち

現場で凌いでいくってことはそんなもんじゃない

 

 

 

 

 

現実

退院から2週が過ぎようとしている

人間の体というのが普段の暮らしでいかに負荷をかけているのか実感する

お年寄りが1週間入院すると歩けなくなったり、痴呆がすすんだりするというのは

にわかには信じられなかった

今の自分はただ立って歩くだけで腰から下が鉛のように重たくなる

2か月の入院生活は体を完全に鈍らせてしまっている

 

何とか仕事をしようと畑に出たり、工場の片づけをしているけれど

気持ちと体が全くシンクロしない

たった半日コンバインに乗るだけで、次の日は立つことも億劫になる

動きたいけど動けない、思ったことの半分もできない

今自分の体の現実はそういう事なんだと思う

 

おしりと左足に残った麻痺は退院したころと変わらない

相変わらず杖を突いてないとこけそうになるし、階段は登れない

それがいつ頃回復するのか、それとも一生このままなのか

それはドクターにも判らない事なんだそうだ

でも飯は食わなきゃいけないし、家族を養わなきゃいけないというのは変わらない

現実は厳しい

呑気なメルヘンだけでは生きてはいけない

 

 

明日から9月

とうとう8月も今日で終わり

こんな長患いになるとは思っていなかった

リハビリで筋力をつけ、何とか歩けるようにはなってきたけれど

左足の感覚はまだ戻らない

 

焦ってはいけないというのは十分解ってはいる

手術前は痛みが取れればいいと思っていた

痛みに中に感覚異常が隠れていたなんて考えもしなかった

振り返ってみたら10年前くらいから左足のダルさはあった

痛いというよりダルイという感覚

湿布を張ったり、低周波治療器を当ててみたり、マッサージ器を使ったり

去年動けなくなるような痛みを感じるまでずっとそうだった

そのダルかった場所と今回の感覚麻痺の場所は、妙に重なっている

少しずつ少しずつ神経を圧迫していたのかもしれない

今回の激痛は圧迫が限界にきて、神経に癒着したことで起きたのかもしれない

 

感覚麻痺は治るまで長くかかるらしいし、治らないことも多いらしい

ドクターもはっきりとは言わないけれど、何となくそう感じる

ただ、一つだけハッキリしているのは

悲観しようが、ブーたれろうが、病気は良くはならない

そりゃ虚しさを感じることもあるし、どうなるのかわからない不安はある

でも、可能性のある方法を探してやっていくしか無いんだと思う

 

当たり前のことができなくなる辛さは、そうなって初めて知る

強い意志を持てば、不自由な体であってもできる方法を見つけることができるはず

今までもそうやってきた

独立した時は小さな工具箱一つと今じゃなきゃできないという覚悟だけだった

結婚した時は車屋だけじゃ飯を食えず、工事現場でアルバイトをしていた

ひまわり畑を切り開いたときに持っていたのは

鉈が一つと草刈り機が一台と描いたものを形にしたいという夢だけだった

派手な成功とは無縁だったけど

チョットづつチョットづつ

無いものねだりじゃなく、あるものを駆使してこの手に掴んできた

だから、大丈夫

必ず道はある

そう信じている