life

とらわれずに暮らしていく

キレイ事

車検の車を引き取りに大工の友人のとこに行った

作業場には奇妙な形に削られた木材が並べてある

これは屋根の垂木、お寺の鐘楼の部材だという

f:id:satoyamanoyume:20171028120259j:plain

原寸の型板から削り出された部材は三倍ほどの大きさの木材から一本しか採れない

墨付けした木材を鋸と鑿で削り出し、最後は手鉋で整形するらしい

これだけ大きく反りの入ったものは、木材の芯の部分を使わないと形が揃わない

もちろんプレカットではできないので、すべてが手作業

材料もできるだけ節のないものを使い、年輪の詰まり具合や癖の出る方向を

見極めないと、立てた時に軒が真っ直ぐにならないという

 

寺社仏閣の木造建築は100年200年立っていることが当たり前の建物

今の建売住宅とは比較にはならない

しかし、ほんの20年前までは一般の住宅でもこうやって手刻みするのが当たり前

材料の癖を見抜き、墨付けして刻むのは普通の事だっだ

現在建てられる建物の9割はプレカット

機械は木の癖や目の詰まり方なんてお構いなしに

インプットされた情報に従って整形してしまう

確かにその方が安上がりだし、神経を使う事も無くなった

「安く、早く」という施主の要望にも応えられるし、大工の手間も減った

同時に「墨付け 手刻み」という技術は伝える場がなくなり

間もなく途絶えていってしまうだろうということを友人は言う

 

どんなことでもそうだけれど、モノを生み出す技術は簡単には身に付かない

思いや情熱も必要だけれど、結局はどれだけ自分を追い込んでいけるかだと思う

もちろん生きて行く為にはその技術でお金を稼がなくちゃいけないけれど

もっと先へ、もっと上へというモチベージョンを保つのは難しい

極めようとすれば、他人から疎んじられたり煙たがられたりすることもある

足を引っ張られることもあるし、仲間ハズレにされることもある

でも、ひとつの事を極めようとすればそれは税金のようなもの

おてて繋いで仲良しこよしでできればいいんだろうけれど

そんな人は見たことないし、そんな楽なモンじゃない

 

忘れ去られようとすることや、長い時間をかけて受け継いできた知恵に対して

「次世代に受け継いでいく」とか「生きる力を養うとか」

簡単にキレイ事口にする人はたくさんいる

でも、それに手弁当で参加しお金を払ってくれる人はいない

事を極めるまでには長い時間と努力がいる

その長い時間を食っていかなければ知恵や技術は途絶えてしまう

仕組みづくりや思いついたことをやるのは構わないと思うけど

食っていくという現実と極めたいという理想をどこかで摺り合わせないと

次の世代に受け継ぐことはできない

それは農業であれ大工であれ整備屋であれ同じ事

キレイ事を口にするのは中途半端な責任のない人たち

現場で凌いでいくってことはそんなもんじゃない