life

とらわれずに暮らしていく

田植機改造

ずっと以前に貰った(ビール1箱と交換)田植機を管理機に改造する計画

この5年くらい試行錯誤してできたヒマワリの無農薬栽培を

もっと楽に簡単にできる方法として

以前から乗用の田植機を管理機に改造して使おうとは考えていた

長い距離を歩くのが難しい体になってしまったので

なるべくなら乗ってできるような楽なものがイイ

幸い新しい田植機が手に入ったので、こいつを改造することにした

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貰ってきた時からすでにかなりのシブさがあった機械だけど

1年間ブルーシートをかぶせていたせいで

ますますお化けのような雰囲気を漂わせている

エンジンはガソリンを抜いていたのですんなり掛ったけれど

クラッチが全然切れないし、油圧のプランジャーがおかしくて油圧がかかったまま

とりあえずクラッチを直さないと危ないので現場でクラッチを外して工場で分解

今の田植機はクラッチが付いていない

動力制御はHSTという油圧の無段変速

解りやすく言えば今の車のCVTみたいな感じで

前進とバックはレバー一つで動くようになっている

確かに便利にはなったけれど、壊れたらユニット交換しか無く

田植機本体くらいの値段がするというビンボー人にはオソロシイもの

修理できないわけじゃないけど、部品が単体で手に入れるのがすごく難しく

まぁだいたい壊れる頃には「生産廃止」で修理できないという事が多い

 

持って帰ってきたクラッチをバラしてみると湿気が入ったのか年数のせいか

プレートが錆びでガッチリ固着しているけれど、原因が分かれば修理は簡単

分解してさびを落とし煽動部分にグリスさしてやれば元通りになる

それにしても驚いたのはクラッチがツインプレートだったことと

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製造年が昭和56年1月14日だったこと

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昭和56年といえば1981年だから37年前

俺がまだ12歳の頃の機械になる

前の持ち主はスゲェ奮発してこれを買ったんだろうな

だから大事にして田んぼをやめるまで大切に使ってきたんだと思う

こういう思いを受け継いでいくのも農で大切にしたいところ

便利で早くて快適なのも良いけど

そんなチャラチャラした事だけじゃ本質には届かないような気がする

 

役目は変わるけどもう少し俺んところで頑張ってもらおう

ポンコツでもやり方次第でどうにでもなるって証明してやろう

 

 

わらびもち その2

前回掘ってきた蕨根

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コレを臼と杵ですりつぶして濾した液体を

水でさらすこと5回

どうにか蕨粉らしきものが採れました

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その量は20g弱

掘ってきた根の重量は測ってはいないので歩留まりは解りませんが

籠1杯の根っこからおちょこ1杯分の蕨粉になりました

葛とは違う少しグレーがかった色

蕨粉を目にすることはなかなか無いし

蕨粉として売っているものが100%混じりけなしなのか定かではないので

本来どういうものかというのはハッキリしませんが

正真正銘天然の蕨根から作った蕨粉とはこういうものでした

 

葛よりも掘るのは楽だし、モノが大きくないので潰すのも楽ですが

やはり手間が掛かるし時間も掛かることには変わりありません

こういうものを作っていると

自然エネルギーを利用した動力があったら楽なのにと感じます

昔はどこにでもあった水車小屋や川の水の濾過槽があれば

もっと簡単で楽にこういうことができたはず

自然エネルギーを捨て便利なものに代わってしまうと

コストに見合わないこういうことは切り捨てられてしまう

結局は葛粉のような物とか蕨粉のような物が主流になり

本物を手にすることが難しくなってしまう

結局最終的に製品にする作り手や食べる消費者自体が

葛根や蕨根を掘ったことも見たことも無い人たちのになって

どれが本物でどれが偽物かもわからない状態で進んで行く

現場に立ち自然と渡り合っている側からすれば

何かタチの悪いコントを見せられているような気がします

 

薬膳だの漢方だの陰だの陽だの言われても、わからないし興味がない

ただ、クソ寒い中で根っこを掘り起こし叩き潰して

手を悴ませながら水に晒す

その体力とメンタルがあれば、講釈なんてドーデモイイと思います

わらびもち

わらび餅とはわらび粉から作るもの

わらび粉はわらびの根から採り出したでんぷんの事

基本的には植物のでんぷんなので片栗粉やコーンスターチと同じ物

別段ハイソな味覚を持ってる訳じゃ無し、それほど食べたいとも思わないけれど

どういうものか自分で最初から最後までやってみたいという興味はある

 

やれ自然のモノがイイとか、野のモノがどうだとか

口だけの講釈は耳にタコができるほど聞く

でも、これだけ葛が繁茂し、枯れた蕨野があるのに

掘っている人を見たことは無い

葛粉を作った時に経験したけれど

確かに買ってきた方が安い

掘りあげて、すりつぶして、何度も水に晒して

採れる量はほんの僅か

労力や時間を金に換算すればとても合わないし

講釈を言っている方がよほど金にはなる

ただ、すべてを経験した上で話す言葉と

何処かで見聞きした事を話す事は全く別物だと思う

 

たまたま草刈りをした場所に大量のわらびが生えていた

打ち捨てれられた田んぼの畔には何十年も経ったわらび根が埋まっている

鍬を片手にモノの10分も掘れば籠いっぱいのわらび根が採れる

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掘ったわらび根をよく見てみると

何層にもなった繊維の中に真っ白になったでんぷんの塊がビッシリ詰まっている

このでんぷんを採り出すためには長くメンドクサイ工程が待っている

手が切れるように冷たい川の水で泥を落とし

少しだけすり潰して水に晒してみると

粘性のあるグレーの液体が採れた

葛とは違うわらび餅の粘りのある食感はこのドロドロしたものからきているのかも

工程を1つ1つ経験していくと、様々なことが理解できてくる

それは手の記憶であり、まぎれもない真実として体に残っていく

 

本当の事を知り、身に着けていくのは簡単な事じゃない

でも、本当に大切なのは話の受け売りじゃ身に付かないと思う

 

 

地下足袋

ずっと以前から農作業には地下足袋を履いている

正確に言うと農作業用の足袋ではなく鳶職人や大工の履く

縫い付け足袋というソールが薄くこはぜの多い長いタイプ

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傾斜のきついとこでは地面を足の指で掴む感覚と薄いソールから伝わる感触が必要

底が厚くや指の動かないクツは感覚が解らないし、脱げてしまう事もある

昔からある日本独自の履物だけど「仕事」の道具としてはこれより優れたものは無い

もちろんデメリットもある

足は濡れるし、1年で2足くらい履き潰すので長靴に比べ耐久性は劣る

ずっと使っているメーカーの足袋は安いモノの倍くらいする

ただ、これに勝る履物にはいまだ出会ったことが無い

 

左足の感覚がおかしくなって改めて思うのは、足裏の感覚の重要性

足の裏は車でいう所のタイヤみたいなもので

人間は足の裏の感覚で無意識にバランスを取っている

足の裏というセンサーが捕らえる情報を体中の筋肉や脳の伝え体を動かしている

今現在左足が捕らえる情報は以前に比べて極端に少なく鈍くなっている

実際にしょうがなく長靴を履くと、足がどこに付いているのかさえ分からなくなる

その不確実な情報でバランスを取ろうとすると

体中のバランスに補正がかかりとにかく疲れるし頭もぼーっとしてくる

そんな大げさなという人もいるかもしれないけれど

それはそうなってみないと解らない事だと思う

足袋と靴ではそれほど違う

条件が厳しくなればなるほど、その差は大きい

 

ズボンのすそをたくし込んで12個あるこはぜを一つ一つ止めていく

それは「仕事」に臨むための儀式のようなもの

足元をビシッと決めて心構えを決めるようなものだ思う

靴のかかとを踏んずけて平気な人にはわからないと思うけど

 

 

 

その場所にあるもの

以前から不思議に思っていたことがあります

それは畦畔には肥料を全く施さないのに草の生育がいいという事

年に4~5回草を切りますが秋口にはびっしりと草が生え揃います

圃場に種まきしたってこれほど生え揃うことは無いのに

なぜこれほど元気よく伸びるのか不思議に思っていました

 

棚田の畦畔を歩いてみるとびっくりするくらい土が柔らかく

雨が降ってもべたつくことが無い

掘ってみるとサクサク鍬が入り、ぎゅっと握れば固まり崩せばサラサラになる

圃場の土としては理想的な土がナゼか畦畔に自然とできている

今まで畦畔に草は切ったまま放置して自然に無くなるという繰り返しでした

そこで今年はある実験をしてみました

 

春から夏にかけて切った草を一か所にまとめ、山積みにしたまま放置

その山積みした草の下で何が起きているのか

春から夏に切って積んでいた草は10分の1くらいになっています

その積み重なった草を少し剥いで見るとまず出てくるのが真っ白な菌糸の塊

そのなかにはダンゴムシやらミミズやらが沢山いました

匂いは広葉樹の腐葉土のようなニオイ

これは想像ですが、長い間草が枯れてできた層が積み重なり

その下では微生物やミミズなどが住みやすい環境ができ、結果としていい土になり

肥料を施さなくても植物が元気になる要素が出来ているんじゃないかと思います

 

その中でもう一つ狙っていたことがこれ

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昔はどこにでもいたカブトムシがなかなか見つからないのは

成虫が卵を産む環境が減ってきたのではないかと思います

せっかく幼虫になってもこれだけイノシシが増えれば食べられてしまうだろうし

針葉樹や荒廃竹林の中にはカブトムシが育つ環境が無い

彼らが育つ環境を整えることと農をやっていくことは

反目になることでは無くてお互いが共生していくことなんじゃないかと思います

カブトムシが育つ状態の堆肥は植物にも有用だろうし

それを肥料として使えればこちらもありがたいし

草を集めて積み上げるのはメンドクサイけれど

それがお互い様という事なんじゃないかと思います

 

 

米作り

伸びに伸びていた稲刈りがやっと終わりました

今年は田植直後に入院した為、ほとんど田んぼに出ることができませんでしたが

代わりに息子がいろいろと骨を折ってくれたらしく

無事に新米を食べる事ができるようになりました

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まだ同じ姿勢を長く続けることは出来ず、コメ袋も抱えることも出来ず

稲刈りもほとんど息子任せになってしまいました

田植えをするとか稲刈りをするという作業だけなら、機械を扱えればなんとかなります

しかし、単純な機械作業が出来てもコメ作りはできません

6月初旬の田起こしから11月の稲刈りまで様々な手を掛けやっとお米ができる

一部分を切り取っただけの体験では決して分からない

地道な積み重ねが収穫に繋がるたった1本の道なのだと思います

 

肥料や農薬を使わず一定の収量を確保するというトライも

5年目にして少し明るい兆しが見えてきました

坪当たり30株 幼苗1本植え

普通の田植え機を改造して挑戦した今年の稲は、結果的にはうまくいきました

植間を広げて風通しを良くして、深水にして草を抑え、畦草を高刈にして益虫を増やす

1本もしくは2本の幼苗が稲刈りの時には60株くらいまで分けつしていました

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箱苗は反当り約9箱

いびつな圃場のこの辺りでは反20~22箱苗を使いますが半分以下

肥料も防除農薬も使わなければコストは半分以下になる計算になり

特殊な田植機やセルトレイで作る成苗を使わず、生体防除も使わないコメ作りの

道筋がやっと見えてきたような気がします

来年はまた新しいチャレンジをしたい

楽しみがまた一つ増えました

それを叶えるために体を治さないと

そのモチベーションの為にも・・・・

キレイ事

車検の車を引き取りに大工の友人のとこに行った

作業場には奇妙な形に削られた木材が並べてある

これは屋根の垂木、お寺の鐘楼の部材だという

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原寸の型板から削り出された部材は三倍ほどの大きさの木材から一本しか採れない

墨付けした木材を鋸と鑿で削り出し、最後は手鉋で整形するらしい

これだけ大きく反りの入ったものは、木材の芯の部分を使わないと形が揃わない

もちろんプレカットではできないので、すべてが手作業

材料もできるだけ節のないものを使い、年輪の詰まり具合や癖の出る方向を

見極めないと、立てた時に軒が真っ直ぐにならないという

 

寺社仏閣の木造建築は100年200年立っていることが当たり前の建物

今の建売住宅とは比較にはならない

しかし、ほんの20年前までは一般の住宅でもこうやって手刻みするのが当たり前

材料の癖を見抜き、墨付けして刻むのは普通の事だっだ

現在建てられる建物の9割はプレカット

機械は木の癖や目の詰まり方なんてお構いなしに

インプットされた情報に従って整形してしまう

確かにその方が安上がりだし、神経を使う事も無くなった

「安く、早く」という施主の要望にも応えられるし、大工の手間も減った

同時に「墨付け 手刻み」という技術は伝える場がなくなり

間もなく途絶えていってしまうだろうということを友人は言う

 

どんなことでもそうだけれど、モノを生み出す技術は簡単には身に付かない

思いや情熱も必要だけれど、結局はどれだけ自分を追い込んでいけるかだと思う

もちろん生きて行く為にはその技術でお金を稼がなくちゃいけないけれど

もっと先へ、もっと上へというモチベージョンを保つのは難しい

極めようとすれば、他人から疎んじられたり煙たがられたりすることもある

足を引っ張られることもあるし、仲間ハズレにされることもある

でも、ひとつの事を極めようとすればそれは税金のようなもの

おてて繋いで仲良しこよしでできればいいんだろうけれど

そんな人は見たことないし、そんな楽なモンじゃない

 

忘れ去られようとすることや、長い時間をかけて受け継いできた知恵に対して

「次世代に受け継いでいく」とか「生きる力を養うとか」

簡単にキレイ事口にする人はたくさんいる

でも、それに手弁当で参加しお金を払ってくれる人はいない

事を極めるまでには長い時間と努力がいる

その長い時間を食っていかなければ知恵や技術は途絶えてしまう

仕組みづくりや思いついたことをやるのは構わないと思うけど

食っていくという現実と極めたいという理想をどこかで摺り合わせないと

次の世代に受け継ぐことはできない

それは農業であれ大工であれ整備屋であれ同じ事

キレイ事を口にするのは中途半端な責任のない人たち

現場で凌いでいくってことはそんなもんじゃない