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life

とらわれずに暮らしていく

ドライな関係性

壊れている田植機を貰ってきました。

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現行モデルの1つ前の型、諸事情により1度しか使っていませんがトランスミッションが固着していて、現状では動きません。メーカーによるとユニット交換しかしないということで、工賃を含めれば40万くらいするらしいとのこと、農機屋さんが言うには付いているオプションを含めると200万くらいするらしいので、それくらいは掛かるのかなと思います。どのみち修理しないと軽トラからも降ろせないので修理するつもりですが、何となくやりきれない思いもします。

今、私たちの生活の中で身の回りのあるモノのほとんどはこの田植機と同じようなものだと思います。1,2年で新しいモデルが出てモノはすぐに旧型になる。新型についてくるフレーズは「環境性能」「省燃費」「高機能」「エコ」すぐに部品が出なくなり、故障をすればユニットでしか交換できず、修理不能になるモノのがナゼ前出のようなフレーズで消費意欲をあおるのか・・・私は理解できません。

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201285キロと299611キロのオドメーターは私が使っている軽トラ。どちらも譲ってもらったものですが、エンジンを載せ替えたり、OHしたりして今でも十分使える仕事での相棒です。確かに現行モデルに比べれば便利装備は付いていないし、燃費も良くは無い。どちらも20年選手ですが取り立てて不満は感じません。現行のデジタル制御は0と1しか認識しないので、信号正常でなければ動かなくなりますが、アナログは0と1の間の微妙な調整で何とかなることが多い。場数を踏んだ経験がその微妙なカンどころを教えてくれるので、捨ててしまうような故障には至らない。長く使えて修理が可能であれば無駄なゴミも出さずに済みますし、新しいマテリアルを必要としません。何よりツマラナイフレーズに躍らせれることもありません。

よくよく考えると、身の回りの物はドーデモイイモノが溢れかえり、ツマラナイことに躍らせれていることが多いと気づきます。昔の日本家屋に住んでいれば、暑くて寝られないのは年間に多くても10日くらい。その10日の為に何十万も出してエアコンをつけても、毎年ニューモデルがでて「電気代」や「エコ」の為に買い替える。そんなことをするなら、暑さに耐えられる体をつくったり、凌ぐための知恵を絞った方がいい。高級な高付加価値食品を買うなら、汗を流して自分で作った方が遥かに体に良い。本当に美味しいご飯が食べたいのなら薪とかまどでご飯を炊く技術を身に着けた方が良い。

アタマとか情報だけで物事を見極めることはできません。やってみないとできることやできないことは解らないし、感覚は掴めないし身に付きません。自分は泥を被らずに言葉だけで人を動かそうとする人ばかりですが、話をしたって、思いを持ったって、何一つ形にはならないし、カネを払えばすべてのカタが付くわけじゃない。

無機質なモノが溢れるようになってから、人の心を慮ったり、気持ちを気遣ったりする人が少なくなってきたような気がします。ドライな関係はビジネスには向いているかもしれませんが、人の心を動かすこととは少し違うような気がします。結果的には1つのことかもしれませんが、そこには何十何百の行程や何年もかけて身に着けてきた技術や塩梅が介在します。そこんところのをよく考えてモノを言わないと、無機質な機械と人間の関係と同じようなドライな人間関係しかできないんじゃないかと思います。まぁ、古いと言えばそうなのかもしれませんが、人間はユニットを変えれば同じように動き出すもんじゃないし・・・・・・・