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life

とらわれずに暮らしていく

思うこと

近隣の地区のゴミ問題のシンポジウムでBDFと空き缶鋳造の展示をした。食廃油もアルミ缶も大きくいえば生活の中から排出されるゴミ。でも私にとって食廃油やアルミ缶はある意味お金と同じだと思っている。

廃食油は加工精製してBDFにすれば、ディーゼル燃料として車やトラクターを動かす。おかげで、この10年ほどトラクターやコンバインの燃料を買うことは無く済んでいる。毎日のようにビールを飲めば毎日空き缶が貯まっていく。資源ごみとしてゴミ袋に入れて出せば、回収してくれるけどゴミ袋代は払わなくちゃならないし、分別した手間賃をくれるわけではない。

仕事上アルミの交換部品は大量に出るし、そのままではかさばって場所を取る。だから以前からアルミは鋳造してインゴットにしていた。冬に工場で焚く廃油ストーブを改造して、ストーブの熱を使って鋳造していた。私にとって生活や仕事で出てくるいわゆる「ゴミ」は燃料でもあり、加工できる素材であり、換金できる材でもある。

ゴミフェスの展示や企画して段取りしている人達は大変だと思う。人の意識を変え、仕組みを創るのはすごくエネルギーがいる。ただ、捨てられる「ゴミ」を使って新しい価値のあるものを作ろうという人がいないのは少し残念な気がする。

BDFを作るのも、アルミを鋳造するのも、別段難しいことではない。大学の研究室の様な設備は必要ないし、そのへんにあるものの組み合わせで設備を作ることは十分に可能な話なのに、具体的に取り組む人はほとんどいない。私は科学者ではないし、大学に行って学んだ訳ではない。考えたことを具現化するために失敗と恥を積み重ねて知識や技術を手にしてきた。頭で考え、机の上で形にすることはそれほど難しいことじゃない。でも、現実にしなければ何の意味も無い。

BDFはカーボンニュートラルだから環境に良い。再生可能エネルギーだからエコ。でもそれは半分ホントで半分間違っている。BDFを作るために集める廃油。そのほとんどの原料をこの国は輸入に頼っている。世界で作られる採油作物のほとんどは遺伝子組み換えで、大量の農薬と化学肥料を使い、ジャングルを砂漠化しながら作られる。これほど多くの廃油が出る社会はホントに正常なのだろうかと思うこともある。片や国内では耕作放棄地が増え、中山間地の農業の前途は真っ暗。これだけ農地が破棄されているのにそこで作物を作ろうという人はほとんどいない。理想や夢物語はよく聞くけど、実際に手伝ってくれる人や一緒に汗を流してくれる人に会ったことはない。

アルミ缶もリサイクルのされているから環境に良くてエコだという。でも、鋳造してみれば良くわかる。700度の熱を生み出すのにどれほどのカロリーが必要でどれほどの手間がかかるのか。純粋なアルミを取り出した後の残るのは取り出したアルミとほぼ同量のスラグと呼ばれる不純物。少しでも水分が残っていれば、炉の温度は一瞬で下がり温度を上げるためにまた燃料を焚かなければならない。それほどのエネルギーをかけないとリサイクルできないものがエコだとは到底思えない。

アタマだけで解ることなんてモノゴトのほんの一部分だけでしかない。そんな人たちはモノを具現化し現物にしていくことは自分たちのやることじゃないと思っているのかもしれない。私たちの仕事は講釈やアゴなんてどうでもいい。万人に納得させるためには目に見える形でモノを作り上げなければ何もしていないのと同じことなのだと思っている

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自分で焼いた竹炭を燃料に、使いかけの固まりかけたモルタルと漆喰と粘土で炉を作り、草刈機のチップソーで五徳を作った。そのへんにあった鉄パイプと穴が開いて使えなくなった缶と壊れたパソコンからとったファンで作ったふいごは再生したバッテリーで動かした。

アルミを鋳造する実演をすれば「すごい」とか「キレイ」とかそんな感想ばかり・・・システムのことスラグのこと、こんな無駄をしなければリサイクルできないことを発言する人はいない。来場者にも主催者にも・・・・・

高尚な議論も、コネクリマワサレタ理論も、必要なんだろう。でもそれだけじゃ何も変わんないんじゃないの?