現実
退院から2週が過ぎようとしている
人間の体というのが普段の暮らしでいかに負荷をかけているのか実感する
お年寄りが1週間入院すると歩けなくなったり、痴呆がすすんだりするというのは
にわかには信じられなかった
今の自分はただ立って歩くだけで腰から下が鉛のように重たくなる
2か月の入院生活は体を完全に鈍らせてしまっている
何とか仕事をしようと畑に出たり、工場の片づけをしているけれど
気持ちと体が全くシンクロしない
たった半日コンバインに乗るだけで、次の日は立つことも億劫になる
動きたいけど動けない、思ったことの半分もできない
今自分の体の現実はそういう事なんだと思う
おしりと左足に残った麻痺は退院したころと変わらない
相変わらず杖を突いてないとこけそうになるし、階段は登れない
それがいつ頃回復するのか、それとも一生このままなのか
それはドクターにも判らない事なんだそうだ
でも飯は食わなきゃいけないし、家族を養わなきゃいけないというのは変わらない
現実は厳しい
呑気なメルヘンだけでは生きてはいけない
明日から9月
とうとう8月も今日で終わり
こんな長患いになるとは思っていなかった
リハビリで筋力をつけ、何とか歩けるようにはなってきたけれど
左足の感覚はまだ戻らない
焦ってはいけないというのは十分解ってはいる
手術前は痛みが取れればいいと思っていた
痛みに中に感覚異常が隠れていたなんて考えもしなかった
振り返ってみたら10年前くらいから左足のダルさはあった
痛いというよりダルイという感覚
湿布を張ったり、低周波治療器を当ててみたり、マッサージ器を使ったり
去年動けなくなるような痛みを感じるまでずっとそうだった
そのダルかった場所と今回の感覚麻痺の場所は、妙に重なっている
少しずつ少しずつ神経を圧迫していたのかもしれない
今回の激痛は圧迫が限界にきて、神経に癒着したことで起きたのかもしれない
感覚麻痺は治るまで長くかかるらしいし、治らないことも多いらしい
ドクターもはっきりとは言わないけれど、何となくそう感じる
ただ、一つだけハッキリしているのは
悲観しようが、ブーたれろうが、病気は良くはならない
そりゃ虚しさを感じることもあるし、どうなるのかわからない不安はある
でも、可能性のある方法を探してやっていくしか無いんだと思う
当たり前のことができなくなる辛さは、そうなって初めて知る
強い意志を持てば、不自由な体であってもできる方法を見つけることができるはず
今までもそうやってきた
独立した時は小さな工具箱一つと今じゃなきゃできないという覚悟だけだった
結婚した時は車屋だけじゃ飯を食えず、工事現場でアルバイトをしていた
ひまわり畑を切り開いたときに持っていたのは
鉈が一つと草刈り機が一台と描いたものを形にしたいという夢だけだった
派手な成功とは無縁だったけど
チョットづつチョットづつ
無いものねだりじゃなく、あるものを駆使してこの手に掴んできた
だから、大丈夫
必ず道はある
そう信じている
14日目
今日でOPから2週間が過ぎた
最初の予定では退院の予定日・・・
昨日やっと車椅子から歩行器に変わった
シャワーもトイレも介助無でOKということになった
25年前のOPではベッド上2週間だった
飯を食うのも、ションベンするのも、クソをするのも寝たまま
横を向くことも、もちろん寝返りを打つのも禁止だった
そのころに比べれば今の状態は早いのかもしれない
でも、感覚がないという不思議な感覚は何とも言い難い
同室の人たちはもう退院の日程を先生と話している、OPは7日も後だったのに
他人と比べてはいけないというのは分かっている
でも、なんで俺だけって思う気持ちもある