life

とらわれずに暮らしていく

稲刈り

今年も稲刈りが終わりました

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毎年思うことですが、コメ作りはカンタンですが、難しく奥が深い

ヒマワリを作り始めたのが先なので、作業自体はそれほど大変なことではありません

水稲暦に合わせて資材を使い、防除をすれば平均収量は確保できるし、草も生えません

ただ、売るためにコメを作っている訳ではないので、農薬や肥料は使っていません

当然収量は少ないし、草取りは重労働になり、虫食いも増えていきます

米粒は小さく、虫食いが多ければ、いわゆる「イイお米」にはなりません

 

私はナチュラリストではないし、スローライフを標榜しているわけではありません

食べ物にこだわりはないし、その手の信者ではない

別に、化学肥料を使っても農薬を使っても構わない

そんなんでどうにかなるほどシャバイカラダではないし、たいして気にはなりません

有機無農薬が美味いとか、慣行農法が不味いとかいう人もいるけれど、

そんな料理人のような舌や感覚を持っているわけじゃないから、違いは判りません

田んぼを借りるチャンスがあって、自分でコメ作りをできる機会に恵まれて

自分で作ったコメを食べられるチャンスなんて、普通は巡り合うことはできない

だったら、土と水とお天道様に対して五分で渡り合わなきゃ失礼だし

自分と自分の家族を養ってくれるものに対して

自分の責任で真剣勝負をしないと、もったいないような気がします

 

梅雨から真夏にかけての草取りはタイヘンです

進んでやりたいとは思わないし、好きではない

今年のように猛暑が続くと、川の水は無くなるし

一番水のいる出穂期に田んぼが干上がることもあります

稲刈り直前にイノシシに入られ、メチャクチャにされることもある

人間の力ではどうしようもないことが沢山あって、でも諦めたら何も手に入らない

自然というものはそういうものであって、悪意や瑕疵があるわけではなく

文句を言ったり、諦めたり、ケツを割ったりするのは

すべて人間側のワガママであり、身勝手な思い込みなのだと思います

 

人間は武器を持たなければちっぽけな存在なのだと思います

何一つ太刀打ちできないし、自然の驚異には成す術がない

だから、必死で体を動かし、立ち向かう必要がある

手を動かし、頭を使い、何とかして自然と渡り合うカラダとメンタルがいる

そうやって必死で手にしたものは

頭でリクツをコネクリ回して、解ったような事を言う人には決して解らない

自分で作ったコメはウマい

味なんてわからないし、バックグランドやストーリーや農法なんてどうでもいい

これだけは1から10までやり通した者にしかわからないことだと思います