life

とらわれずに暮らしていく

農業の現実

テレビや新聞では農政に関して威勢の良い言葉が躍っています。現実には高付加価値(これもよくわからないのですが・・)作物を作って儲かっている農家もいる。でもそれはほんの1部のこと。

昨日知り合いの農家から電話があり、田植機をいらないかというハナシ。私の使っている田植機はビール1ケースと交換した30年落ちのモノ。便利なデバイスが付いていないので壊れるところもないけど、毎年フレームに補強の溶接をしないといけないような代物なので、欲しいといえば欲しい。見に行くと現行の1つ前の型で、1度しかつかっていないらしい。

いきさつを聞くと、4年前に新車を入れたけどその年の夏に大将が亡くなり、稲刈りを友達にしてもらった。それから3年間、機械は大将が使ったままの状態で置かれ、動かしていないということ。1町ほどある農地は誰も引き継ぐ人がおらず、お金を払って草刈をしてもらっているらしい。

泥が付いたまま野ざらしにされた田植機はエンジンが掛からないのは当たり前。ミッションがさびて固着してどうすることもできない。200万近くする田植機はたった1度だけ使われて放置され、修理するには結構な金額が必要だと思う。やぶれたブルーシートの下には、トラクターやコンバインもそのままで朽ち果てようとしている。

こういう話はしょっちゅう耳にする。担い手がいない、後継者がいない、農に携わりたいと口にする人はたくさんいるのに、実際覚悟を決めて取り組もうという人はいない。新規就農者の言葉はどこかの大学出のプロデューサーのように、高付加価値高収益農業を謳う。

リアルな世界はパソコンの向こう側のようにバラ色じゃない。思いや気持ちだけで凌げるほど甘い世界ではない。耳に心地よい言葉を操る人がこれほど多いのに、リアルな世界で泥を被る人がいないのはナゼだろう?国立競技場の問題も、安保法案のことも、あのデザイナーのことも同じこと。ホッキョクグマやペンギンの心配はしても、自分の足元で起きていることには気がつきもしないし、関心もない。

理屈や理想ではコメは育たないし、車は直らないし、家は建たない

何時気がつくの?夢を食べては生きていけないのに