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life

とらわれずに暮らしていく

田植

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今日は田植

1年分のお米を、自分で作り始めて6回目の田植えになります

笑い話のようだけど、最初にコメを作った時は田植機さえ持っていませんでした

ヒマワリで使っていたトラクターをもってきて

代掻きってどうすりゃいいの?という状態

当然ナリは合わないし、綺麗に仕上がらない

近所の人が出てきてイロイロレクチャーしてくれるけど

言ってる言葉の意味さえわからない。恥ずかしくって、笑われて・・・・

何とも言えない思い出があります

 

そうやって笑われながら、初めて作ったお米はほんのわずかしかありませんでした

でも、そのコメの美味かったこと

どんなブランド米であろうと、有名なコメであろうと

あの時食べたコメより美味いと思ったコメはありません

同時に自分がやってることに対してある疑問が生まれました

 

それまではヒマワリの油を搾って売ることや

BDFの為の戦略ばかり考えていました

ストーリーは問題ないと周囲の人には言われていたし

ヒマワリ油を売るための繋がりを求めて、色んな人に会い色んなとこに行きました

事業としてのヒマワリ畑

それをどう構築していくか、頭の中の半分はそんなことを考えていたような気がします

でも、自分で作ったコメを食べて、そんな考えがツマラナイと思えてきました

人にウケるフレーズやストーリーや枕詞なんてどうでもいいこと

 そんなものは何かしらの方便でしかない

本当のことは凄くシンプルなことなんだと気づきました

 

ヒマワリの花が咲いたり、田植や稲刈りのことをはよく聞かれることがありますが

それ以外の時期にほとんどの人は、見に来ることも足を向けることもありません

 でも、春夏秋冬、365日、24時間は連続して繋がっているものだし

どこかが1つ欠けても、ヒマワリは咲かないし、コメは取れません

同じように生き物や環境はすべてが相互に作用し合って、バランスを取ろうとしている

その連鎖の中で人間はどうするべきなのか?、そしてどうあるべきなのか?

たぶん一生かかっても答えは出ないし、教えて貰うようなことでも無い

 

自然は言葉を発しません 植物も動物も大地も空も

人は慮ることしかできません 

地面に這いつくばって、何度も何度も失敗して、悔しい思いをして、恥をかいて

それでも諦めずに挑戦しなければ、声なき声を聴くことはできないと思います

私はキツイことは嫌いです

汚れるのも好きじゃない

でも、やんなきゃ解んないことがたくさんある事だけは解っています

一部分だけ切り取って、わかったフリの知ったかぶりなんて

恥ずかしくてできません