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life

とらわれずに暮らしていく

農と暮らし

昨日丸1日、今日の午前中で水田の草刈りが終わりました

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これから荒起こし、水張、代掻きをして田植えになります

その前に水路の確保もあるし、畦塗も

米つくりにしても何にしても,ケジメになる所までの準備が一番厄介です

 

今はこうやってレンゲが枯れるまで草を切らなくても何も言われませんが

最初のころはそうじゃありませんでした

田んぼに草を生やすということは、農家にとって恥であり

まじめにやっていない証拠だという考え方が根深くあります

畦の草を高く刈ることも、肥料を入れないことも

常識の中では異端にしか写らない

根拠があってやっていることであっても、すべては結果

結果は簡単には出てきません

足しげく通い、目で見て、匂いを嗅いで、手で触って

失敗と恥ずかしい思いをたくさん経験しても上手くいくとは限りません

ただ、そうやってまがりなりにも結果を出せば

異端な方法にも意味があるとわかってもらえるのだと思います

 

振り返って考えてみると、これには深い意味があるような気がします

異端であることや独創的であることは良いことだと思います

ただ、単なる異端や、独創だけではダメなんだと思うし

理解している仲間だけで、分かり合えてればそれでいいというわけじゃないと思います

関心のない人たちや、常識に縛られている人たちも納得できる結果を示して

そういうこともアリなんだと思ってもらわなきゃ意味がない

米もひまわりも、最初は異端で独りよがりだったかもしれません

でも今は批判を受けることも、ハスに見られることもなくなりました

自分の考えや思いを周囲に納得してもらうのは

時間もかかるし、理屈や講釈だけではダメなんだと思います

 

変わった存在や特別な存在になることにどんな意味があるのか?

私は普通でいたい

普通に仕事して、普通に暮らして

でも、信念をもって、真摯に現実と向き合って、できる限りの努力をする

竹藪を開墾したことも、ヒマワリの風景も、バイオディーゼル

最初は異端だったろうし、マユツバもんだったかもしれません

でも、今は普通の暮らしの光景になっています

それが大事なことなんじゃないかと思います