life

とらわれずに暮らしていく

好きなことで生きていくということ

風呂から上がって、ビールのリングプルを開けようとした瞬間に携帯が鳴った

着信の名前は大工の友達、時刻は23時過ぎ

よほどのことか、それとも事故か、と思い電話に出た

「酒、飲んだ?」

「今、飲もうとしたとこ」

「どうした?」

「溝に落ちた」

「わかった すぐ行く」

つなぎに着替えて、牽引ロープと道板と鋼管を軽トラに積んでレスキューに行った

何とか車を引き揚げて、事の顛末を聞くと

一瞬意識が飛んだらしい、典型的な居眠り運転

「仕事し過ぎだべ、こんな時間まで、世間は休みなのに」

「あんたも同じようなモンじゃろう」

ケガもなく、車も大丈夫みたいなのでホッとした

「じゃぁね、気をつけて」

看板のない人間が、腕1本で生きていくということは、休みも時間も関係ない

好きなこと、こうと決めたことで生き残っていくのは、そういうことだと思う

 

好きに生きていくということと、好き勝手に生きていくということは

言葉は似ているが全く違う

自分で看板背負って生きていくと決めた時期は彼と同じ年だった

あれから20年近い年月が流れてきたけれど

あの時自分とした約束をどうにかこうにか守ってここまでやってきた

好きなことで生きていきたいから、全くお門違いの仕事もしてきた

色んな知識や技術を手にしたのも、好きなことをやり続ける為

この歳になっても、休みもなく時間も関係なく働いている

好きなことで生きていくということは、仕事にアナはあけられない

何日徹夜が続こうが、病気していようが、ケガをしていようが

約束を守り、信頼を得て

いつか来るかもしれない「その時」の為に常に準備をしておかなければならない

 

好き勝手に生きていくのなら、晴耕雨読でも構わないと思う

やる気が出なければ休めばいいし、自分の腹だけを満たすのはそう難しくはない

病気だから、体調が悪いから、ケガをしたから、やりたくないから・・・

自分がそこそこ満足できて、無理をしない範囲で、対価は物々交換で

約束を守らなくても、時間にルーズでも、礼節を欠いても、言葉遣いがおかしくても

それを許してくれるヤサシイナカマとツルんでやってればいい

リングに上がらなければ、ストイックになる必要もないし

殴られる痛さも、殴る辛さも感じなくていい

痛い思いもしなくていいし、拳を痛めることもない

そんなメルヘンな世界があればイイんだろうけど

そんな世界で生きたいとは全然思わない

 

4月の終わりから6月の田植えの時期まで、休みは無いし

ポンコツな体がまともに動くことは無い

痛み止めを飲み、病院で注射を打って

晴れた昼間は野良仕事、雨の日や夜中は車の仕事がつづく

腰は相変わらず痛いし、左足は引きずって歩いている

手首もひじもケガした指も痛くて堪らない

疲れ果てた体は、酒の力を借りないと眠ることもできなくなる

でも、好きなことで生きていくこと、自分の考えや主張を世に問うことに

そんな言い訳は通用しない