息子との会話
この頃息子と話すことはキノコのことばかり
栽培できるものとそうではないもの
シイタケだけでも何種類もの品種があるし
品種に適した原木の種類や乾燥の具合、伏せこむ場所など
単にキノコ栽培といっても、なかなか奥が深い
ある一定の条件が揃わないと、天然のキノコは生えてこない
その一定の条件を満たす場所に、適した品種を適期に伏せないとダメらしい
木の種類を学び、方角を定め、日当たりや風通しを見極めること
条件に適したキノコの種類を決めて、菌を打たなくちゃならないこと
もちろん伐採の時期や乾燥の具合も木やキノコによって違うこと
言い換えれば、やたらと植林された針葉樹の森や荒廃した竹林では条件を満たせない
多様な微生物の世界も循環する自然のシステムも断ち切られているということ
バランスが崩され循環が止まった森は、多様性を失い機能を失っていく
結局、森が保水性を失ったことも鳥獣被害が増えたことも
竹の浸食を止められないのも、リカバリーする力を失ったからだと思う
今回駒打ちをしたのはナメコとエノキ
貰ってきた桜の原木に穴を空けて駒を打っていく
エノキやナメコは湿気が多くそれでいて風通しの良い所、直射日光もダメ
圃場の中にある沢が条件には合いそうなので、本伏せはそこにする
今乾燥させているクヌギやヤシャブシは来月くらいまで乾かしてから
ヒラタケとくりたけの駒を打つ
これは少し乾き気味の風の通るところなので、杉林のなかに伏せる
どっちにしろ本格的にキノコが出てくるのは再来年の秋口
駒を打つ彼らは高校生になっている
その頃まで私とこうして遊んでくれるかどうかはわからないけど
手の記憶というのは必ず残っていく
教科書やインターネットには手の記憶や匂いや肌で感じる風は載っていない
大事なのはそのアヤを感じ取れる感性
それは現場で泥にまみれなきゃ解らないし身に付かない